戦いを略す、本当に可能か?
戦いを略す
というのが一般的になってきている。
確かに孫子の兵法から見ても正しい使い方なのだろう。
ただ何となく現代において、戦いを略すことにならないんだよね、という意見も聞こえてきそうじゃないですか?
そりゃ略せれば越したことはないよ。麻雀と同じように、皆が同じ卓で同じようにアガリに向かっているのなら、戦いそのものを略せないシチュエーションの方が多いと思うんですよね。
「略」の語源から考える、戦略の本質
そこで「略」の語源を調べてみた。
田はそのまま、土地のこと
各の上は足の意味なんだとか
口は身体の一部の口ではなく、石という意味らしいです
つまり立ち止まって考え、計画することなんだろうと。
横の関係を考える、という意味もあるようだ。
ちなみにすぎるが、経のつくりは足に土、つまり十字なので、縦を表すらしい。
経線と聞くとピンとくる。漢字はやはり面白いですね。
話を戻すと、戦いを略せるもんならそりゃ理想だよね、ただ相手もそう思っているんだから略せない場合はどうすんの?となる。
つまるところ戦略とは、戦うということについて、足を止めてでもしっかりと考える必要がある。ということにならないですか?
なぜ「今すぐ使える!」「誰でも簡単!」に飛びつくのか?
現代人はすぐ
「今すぐ使える!」
「誰でも簡単!」
に飛びつく。
そんな簡単にそれが叶うならみんな成功者ですよね。
戦いを略せるならそれに越したことはない。
今から戦うということについて、いかに足を止めてでも考えることができるか?
計画ができるか?
つまり
「考え続けるしかない」
ここから逃げない人が行きつく最先端が、戦いを略せる人なのかなと思います。
僕は戦いを略せそうにもないので、ぶつかって、失敗して、回り道をして、足を止めつつも考え、成長しながらビジネスを楽しみます。
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